飯が食えなくても博物館には行くと思う、というヤバい思想の母と兄が私の家族です。
祖母は武士は食わねど高楊枝よと言っておきながら、別に武士の家系でも無いし、現在朝ごはんに饅頭六個食べる婆さんです。
アマプラで日日是好日を見ていて、なんだかほんと懐かしくなったのでありました。
特にお湯の音と水の音の違い。
そういや私コテンラジオのファンでして、その流れで通勤中に深井さんの超相対性理論聴いててね、茶道の松風についてのお話、水を入れる事で静寂に驚くってのを聴いて、あーその感じあったわー!等と思ったり。
母は裏千家の先生なんですけども、私が幼稚園児の頃、ちょうど私と同じ年頃にお茶を始めたんじゃなかったかと思う。
うわ、私の歳の頃には子供二人とっくにおったんか…………(ありがちな驚き)
元々男性の文化だったとはいえ、女性の先生というのは子供の扱いが上手だった事を思い出す。
難しいこと言わないで、お菓子とお茶を与えてくれたな〜などと。
容赦なく良いお道具を触らせてくれましたしね。
そして、僧侶になってからの所作というのはですね、茶道の大元はコレか!!という発見の連続なのですね。
お茶というのは密教の僧侶と共に日本に持ち込まれて、禅宗をもとにわび茶が確立した、とか、これ前も書いたな笑
私の参学の師も茶道に熱心な方だったので、整合性がとれて心地よかった。
まあ、幼稚園の頃から中学位まで飛び飛びに遊び遊びやってた癖にお点前なんて完全に忘れてますけどね。
というか、覚えられなかったし、先生は常に次は水差しの蓋〜と言う方だったので、自分で覚えるなんて事は考えた事も無かった、が、日日是好日で言ってた通り身体が覚えるって事なんだろうな………と。
そう思ったら、またお茶やりたいなーと思い始めた。
母は女王様になる生き物を産み落としただけあって、イカツイ思考と性格してるので、自分の子供には絶対教えないと言い張ってたけど、言うて背中見てんだよな………と思ったのでした。
そういう意味では、凄いお稽古だったなと思う。
そんなわけで、母に習いたいんだけどどうしたらいいの?って質問したらネットで検索しろって言われました。
そういう人だよね〜
私の母だもの〜
余談ですけど、超相対性理論の中で、深井さんの子供時代の話は痺れるものがあった、承認されて育ったから承認される為の行動が出来なかった、と、私も承認されて育ってしまったので、他者からの意見って割と馬耳東風で、それこそお茶の先生や御社中の方、僧侶の頃の先輩や恩師たちには思い返すと自らを絞め殺したくなる様な言動をしていた事も伴って思い出すので、胸が痛むのでした。
これからもう少し上手に生きたいと思う…………
でも、過去を顧みて絞め殺したくなるというのは、成長してるという事だ(ポジティブ)
絞め殺したくならないほうが、不健全なのかもしれない。
でも、絞め殺したい様な言動をする事を仕事にしているというのは、なかなかアリな選択である。
マジでどうかと思うよ、ほんとに。
全てに対して愛はあるんだけどね。
あまり伝わらないけど。
そろそろ寝たほうがいいぞ私。