大量の猫と安心

休日、実家に行ってきた。

保護猫ボランティアをやっているので、沢山猫が居る。

面白い環境だ。

病気猫の部屋ってのがあってね、そこには少し前まで、物凄くでーーーっかくて物凄く優しいボスが居て、先の短い子を抱きかかえて寝る様な子だったんだけど、少し前にこの世を去ってしまった。

その後は初代ボスの次に身体の大きい二代目ボスが居たんだよね。

もう治療も出来ない一番弱っている子の隣に寄り添って舐めたり温めたりしていた。

寝床、食事、清潔(と、医療)

猫はこれが揃っていると、そのような社会構造になるらしい。

先日の福祉について考えていた事と繋がってね、人間も弱者への寄り添いをする最低の条件は、寝床、食事、清潔と医療なのかもしれない。

猫の場合、医療は必要なんだけど、猫からしたら辛いことをしてくる面があると思うので、清潔(医療)と表現しておく笑

勿論、人間と猫は哺乳類って位しか共通点が無いし、猫でも出来るから人間もとかって話では無いし、ましてやその事が正しいとか、善良という道徳的な事を言いたいわけではない。

ただ単に、現在は寄り添える世界の方がいいらしいという常識があるので、もし、それを実行するならば、集団全体に寝床、食事、清潔と医療が最低限は必要なのかもしれないね……と、思ったというだけの事だ。

そして更に、猫の集団でもそうならない集団もある。

人間大っきらい部屋の猫達は、ボスだとかなんだとか以前に、カチカチに固まって身を守りあっている。

同じ環境の下で熟と感じるのだが、寝床と食事と清潔は誰にでも与えられていても、安心するかどうか?というのはとても個人的な価値観の問題なのだ。

人間にとっても安心の条件は本当に様々だなと思う。

安心って、何でしょうね?

M男さんもさ、女王様に仕える条件のかなり上位の所に安心ってあると思うんだよ。

身を任せるわけだから。

拘束される時点で、生殺与奪の権利を投げ渡すに等しいわけだから、流石に殺さないだろうというレベルから総ては始まると思う。

そして、この人!!!ってなる為の安心感というのは、本当に多岐に渡るわけですよね。

殺されなければオッケーな人も居れば、無事故が条件の人も居れば、緊縛が出来るとか、尿道プレイが出来るとか、一箇所への在籍年数だとか、お店の営業年数だとか、受け答えだとか、職歴だとか、物凄く色々耳にします。

そういや、縦社会を経験してるから先輩の教えを無碍にしなさそう、と言われた事もありますな笑

因みに、私が前職を書いているのは、仏教の話を好き勝手にしたいから、というのがありますが、悪人じゃなさそうと思われる面があるからお店に了承して頂いてます。

その一方で「宗教」として考えると不安材料にもなります。

私の場合、ある程度は宗教を客観的に捉えられるか、そもそも全く興味が無いか、めちゃくちゃ詳しいか、という方が接しやすいので、私にとっては僧侶経験を書いていても来てくれる方達が「安心」なのです。

当たり前ですけど、宗教の事件があるたびに、総て同じに見える人からは、ただ父が僧侶というだけで子供の頃に得も言われぬ暴言を吐かれた事はありますしね。

何事をも客観的に見られない事はとても恐ろしいですが、事宗教に関しては被害を被った方も多いので客観的に見られなくなる方が居るのですよ。

それは仕方の無い話だと思う。

もし隠していて、私がふと僧侶経験からなる話をこぼした時、手に負えなくなってしまうので。

そしてついでに、私の顔を知る僧侶の中に万が一にもM男性が居て、誤って遊びに来ちゃったという不幸な事故を断固阻止したいからでもあります笑

もう一切の関わりが無いとは言え、私にバレたらあまりにも不安だと思う……

私が提供出来る「安心」と、私が必要としている「安心」についての話でした。

今回は、関わりの無さそうな話から真面目なSMの話をし始める、という前回の逆パターンで書いてみました!!

そして、最後に画像も添えておこう……ふふふ……

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