その手の映画の優等生

定期的にやってくる、自分でも謎の視点から語られる、今更映画感想文シリーズです。

前回はパッションを仏教徒目線から語りましたが、今回はアバターです。

IMAX3Dでリマスター上映されていたので。

今回は、パッションよりも更にとんでもなく話が逸れまくり、結論から述べると、最近の若者って最高なのでは?という気味の悪い着地の仕方をしています。

どうしてそうなったのかなぁ……もうわからないよ……

そんなわけで、アバターを見ての感想文のハジマリハジマリ。

スピリチュアル(精神的)な民族に対する侵略と抵抗のお話です。

お話しそのものは、あの手の映画としては優等生的な、ああいう映画を見たいんだと思った時には最高峰って感じでした。

私としては映画そのものには特に不満が無い。

何でそうなる……みたいな事が少ない気がした。きちんと説明されているので、引っ掛からない、という感じ。

まあ、それ系よね、っていう根本的な事以外はとても面白い映画だった。

原住民ナヴィは地球産のものが要らなかったので貿易交渉にならず、武力行使されて抵抗して勝利する!という、非常に人類にとって、究極の自虐の様な映画だった。

しかしながら、あの手の映画が登場すること自体、表現や思想の自由というのは偉大だと思わされる。

そうしないと物語にならないから仕方ないとはいえ、抵抗の為に戦うという選択しかない状況というのはどことなく古風でもある。

どうやったら戦わずに自分達の暮らしを守れるのか、その発見を、発明を、人類は出来るのだろうか、等と、映画を飛び出して考え込んでしまった。

「何も要らないから、我々の暮らしを邪魔しないで欲しい。」

今のところ、近代文明の国はそんな事は言っていられない。

自国の資源だけで生きようと思ったら、生活レベルの維持すら出来ない、生命の維持すら怪しいのかなと思うわけで、ということは、常に交換し続けるしかない。

その交換を拒否されたら、どうにもならんのだ。

まあ、アバターの世界観での地球人類は、資源を求めているのだが、それが死活問題としてでは無さそうな雰囲気だが、実際地球には自然がもう無いし、戦争しまくってたっぽい位のセリフしか無いので、わからん。

ただ、新しい資源を持ち帰って富む事をしなければ、争いに負けてしまう、等の間接的な死活問題はあるのだろうと思う、そうでもしなきゃ地球外に進出するのは無駄の方が大きい。

低コストだとしたら、もっと人員を大量に投入してるはずだしね。(今後のストーリーでそうなりそうな気もするけど、何光年離れてるんだろうね……宇宙船の速度が相当やべえと思うんだよね、時間がどのくらい違うのかもわからんので、最後のパーカーの捨て台詞はどんな形でお話しになるのだろうか……)(ちょっと調べたけど、一応5年ちょっとという設定らしい。宇宙船は相当な速度ですね。ううん、まあ、ううん……宇宙よくわからんのでSF的な感想文は私には難しいのです。)

私は資源の奪い合いという、死活的交換は減っていくと信じているというか、そう願っているのだよ。

再生資源というのは、どう考えても今後発展していくだろうから。

自分達の生活資源が完全に確保されないと、本来宇宙に飛び出して行く事すら出来ない気がするんだわ、ましてや侵略なんて、

コストコ高過ぎて。

まあ、でも、植民地政策ってそういう意味でかつては見切り発車して余計にお金かかって詰んだんだよな……課税しまくったら物理的距離の影響で独立されちゃったしね。

私は「ぼくの地球を守って」の様な、学者集団が憧憬を感じながら未発達な地球という星を観察しているSF映画もあったら素敵だと思うんだよ。

ウィルスを持ち込みたくない。

侵略したくない。

という選択をして、地球に降り立つ主張をした人は拘束される。

地球時間でも、その計画の一部である地球のコントロールは実行されるんだけど、人間には心があるから、そう上手くいかんよねってお話し。

また、その背景には星間戦争や宗教的ジェンダー思想が及ぼした精神的影響も描かれている。

原始文明を野蛮と考えて行動するほど野蛮じゃない「人類」を夢見たいなと思う今日このごろです。

まあ、アバターも主人公と仲間達はそのフェーズなんですけどね。

今現在、人類が武力と知性で激しく葛藤しているということの反映なのだろうか。

まあ、実際それはそれは激しく揺れているのでね。

理性というのは、知性で強化されるというか、知性がある人は色々考えちゃって身動取れないな……って事が起きると思うのよね。

全てが計算通りに行くから限界も見える、という知能指数高めの人が自殺しちゃったりするのは、そういうことなんだと思うのだ。

そうやって考えると「最近の若者は失敗を恐れて何も行動しない。」というのは、知性による理性的行動なのだろうと思うわけです。

だとしたら、私は未来って優しい世界だと思う。

「最近の若者」と、雑に括れる位には理性的な人類が増えているということなんじゃないかと思う。

失敗を恐れるのは、理性です。

失敗は恐れまくっていいと思います。

どう考えても失敗しなさそうな計画をたてる事が大切だし、どうせどんなに綿密に計画しても何かしら失敗する事はあるのですよ、そしたら再びその失敗を恐れて潰す、という結果的には同じトライアンドエラーが起きるのですから。

そして、私は思いますが、知性的であるがゆえに何でも質問する何でも確認する神経症ムーヴに突入する若人に対しては、凡人代表として失敗したときの反応のアイデアというのも語って行きたい。

それをやって生きていきたいと最近思っております。

失敗は恐れるべきことだと、熟と思う。

行動出来なくても良いと思う、行動してもいいかな……と思えるレベルの計画を立て尽くしたら良いと思う。

正直、地球のこれからはあまり多くの失敗は許されないので。

地球をリペアし始めた時代の人類であって欲しいよね。(本来なら働き盛りの年頃でありながら余生を謳歌している人間より。)

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