最後まで読むと何も言ってない。

マルクス・ガブリエル

哲学者として名前が渋い。どうでもいいですね笑

インタビューで答えた彼の日本観と日本の政治にリーダシップを求める様な言葉はズレを感じるのですが、本は読んでみたいね〜

私は倫理観の押し付けも暴力の根源たりえると思っている。

だって、女は女らしく、男は男らしく、男と女が結婚して子を成して一人前。って少し前まで、大変倫理的な思想だったし。倫理は変動する。

SMは秘密の倫理の共有を楽しんでいるんだけど、その倫理というのはプレイ空間であったり、相手との役割的な物で形作られているなと思うのですよ。

これが今日、この場での倫理ね!!って話なんですよ。

私が楽しむ為に乳首にクリップをつけて、私が満足するまで引っ張られる事を耐える事がM男さんとしての善行なのですよ。

私を喜ばせなきゃいけない空間において私が喜ぶから。

それは正義だと思う。

二人にとってね。

でも、それはホテルを一歩出れば変わってくる。

隣の家と私の家での善行は違うと思うのよ。

まあ、私のこれは極端な話なので、ただの屁理屈というやつです笑

そういや、ふと思い出しました。

子供の頃に母とゴミの問題を話していて、一つの物を長く大切に使えばゴミの問題は普通に解決するよね?程度の事を話したら、

使い捨てる事で買う人が居て作る人がいるから経済が回ってるんだよ。企業が認めないんじゃない?それが資本主義経済の一つの要素なのよね。と返された事がある。

うーーーん、じゃあ先進国でゴミを減らすのは無理なのかしら………って頭を抱えたのが、小学校高学年位だったと思う。

そして大学生の時に気付いたんですよ、長く使える物や生分解性のあるものしか買わない人が増えれば資本の行き場がスライドするだけじゃんって。売れなくなりゃ作らねえだろ。エコレジスタンス〜!!と。(この頃はサスティナブルとかそんな言葉は日本で流行ってなかったよ)

近頃、世界経済の中で実現しつつある…………という事に純粋な感動を覚えるのです。

そういや、私が高校生の頃に、母が実業家の女性から今からはエシカルよ!ってお高いキッチン道具を進められたり環境問題を語られて、何でキッチン道具に倫理………?って頭がちんぷんかんぷんになって困ったと言っていて、とりあえず母と一緒に検索して、なるほどーー!!ってなったのを思い出した。

思い出したので、改めて確認してきたんだけど、マルクス・ガブリエルさんの使う倫理もエシカルの直訳字幕なんだよね。

言葉の使い方には、文脈が必要だと思う今日此頃。

それから、倫理に内包された概念と、エシカルに内包された概念がもしかして違うのでは………難し過ぎるよ。

その辺に最初から気付いてたら屁理屈は考えなかったかもしれない。

いや、考えるか。

倫理とエシカルという言葉をまず追究して考えないといかんかった。

倫理ってのは時代によって変動する価値観であって、今現在において持続可能である事が倫理的という意味での倫理的経済なのか。と。と言う事は倫理というのは変動するから今必要な事を考えてそれを経済とせよって事か。

要は常に哲学しろって事だ。

休日の思考記録でした。

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