随分前に、洗脳技法が使われている、という注意喚起レビューのある本を読んだことがありました。
わかりやすい所で、随筆の体で物語が進むタイプのお話、というか、随筆として売られているんだけども、実際は虚構だと思われる。
登場人物が語る場面で、筆者の名前を何度も何度も連呼されるというのがわかりやすい例として上げられる。
さも読者が筆者に共感してしまう様な感じになっている。
実際読見終わると、とても共感出来ない考え方なのだが笑
少なくとも読み進めやすさは格段に上がる。
そして、小説とかを読む時って人間文字を頭の中で音にして読んでたりするんですよね。
速読が出来る人はまた別だと思うけど、そもそも小説なんてじっくり世界観を堪能するのを楽しむ物だからね。
文字でも催眠にかけられるって事なのだろうね。
そんでもって、ふと気が付いたけど、実は般若心経も同じ作りのお経だと思う。
あれは、舎利子〜舎利子〜と繰り返される。
舎利弗さんに語った説法だったりします。
それを声に出して読むわけですねぇ。
内容を噛み締めながら読むと、舎利弗さんと自分自身の関係は曖昧になるかもしれない。
主人公の名前を連呼する事ってお話に没頭させるのに結構大切な事なのかもしれませんな。
そして、舎利弗さんと自分の関係が曖昧になったところで、仏教的には自己と他己ですから、問題無いんですよね。
むしろそうなんですよ。
面白いですね。
是非や善悪については何も考えてないけど、どうやらそういう事なのかもしれないなーという話。
そうやって考えると、M男性に対してまるで自分がプレイしているような気持ちにさせるプレイ日記を書いてくれる女王様の味わい深さよ……
尊いわ……
私にはとても出来ない笑