好きな一節

私は記憶力があまりないので、割と何度でも同じ漫画や映画や小説やアニメを全く新鮮な気持ちで楽しむというお得な質をしている。

それが、メディア違いなら狂った様に行き来したりするのです。

同じ原作のアニメと小説と漫画をぐるぐる繰り返したりします。

有頂天家族はアニメが割と好きだったのだけれど、近頃Kindle Unlimitedに登場したので原作を読んでいる。

なかなか痺れる一節があった。

『相手が自分の思い通りに動くことと動かないことの間隙にこそ、惚れるということの味がある』

私は狸じゃないので、惚れていた女性に化けてみてこの言葉に痺れるわけでは無い、当然ながら。

でも、そうよね。

と、思う。

SMってのは非常に支配と言うものが大切になるけど、予想外の反応をされるからこそ面白いよね。

間隙というのがまた良いではないか。

アニメで見る有頂天家族は、日本語の流れる様な音に素晴らしさを感じるし、小説に於いては、痺れる事の出来る一節というのがあるね。

日本語って、聴いて良し読んで良しの言語だ……

それは第一言語だからなんだろうけど……

英語がわからんからというのもあるけども、私は第一言語を深く味わうというのはとても途方も無い事だと思う。

外国人と話していて、日本語は難しいよと流暢な日本語で言われると、日本人も日本語よくわかってないからねと答える。

そして、有頂天家族みたいな、愉快な日本語パラダイスに触れると、腹の底から脳に向かって楽しさが突き抜けるのであった。

どうでもいい話だが、仏教の経典というのは、漢文というのか漢詩というのかが多い。

読むという事をするのだが、同じお経でも読み方が二種類あったりする。唐音と呉音とある。

他にもサンスクリット語の音写もあれば、日本語のものもある。

紛れもなくインド発中国経由日本なのだ。

そんなわけで、言葉の意味合いについても日本の歴史の中で変化した物があるけど、私は経典で覚えてしまった言葉も結構あって、別の意味で使ってしまう事が多々あるらしい。

わかりやすい所で、不審とかはだいぶ意味合いが違う。

おはようございます!お変わりありません?みたいな意味も認識していたりする。

流石に不審をごきげんよう!みたいな感じで使ったりはしないのだが、会話していて、ん?ってなられて、あん??ってなる事が起きる。

M男さん各位、なんか変な事言ってたら指摘して欲しい。

ふふふ。

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