私は縦社会の僧侶経験があるばかりか、母方の家は軍人の家系だったので、家庭そのものが縦社会的だった。
家の中に序列があったし、末の娘というのは今から思えば笑える程序列が低い。(すでにそうじゃない家庭も多かったが)
反動や反発からSMをしている可能性もゼロではないが、正直社会性というのは渦中に居るとストレスでも何でもない。
ただの日常を普通にやっているだけだ。
外と比べると急に……という話しなので、父方に行こうが母方に行こうが序列が低いので別にそんなもんなのだ。
素直なので、学校や友達との社会ではポジション違うなーというだけである。
そして、ミストレスも何やかやと言っても閉鎖的な縦社会だと感じる。
多分、私の世代は特に縦社会とかクソだ!!みたいなゆとり世代なんですけども、でも、それでも同じ学校内でも上の世代は全員縦社会だったので縦社会に慣れているのである。
ふと、梵網経の事を思い返す。
ガチガチにロジカルで抜け目のない戒律、主に菩薩戒を説明する経典。
何でそんな戒律が必要だったのか?
というと、義務教育もインターネットも無かった時代の、学問であり、
悟りを目指す僧侶としての信用を、その他の人から得て、托鉢した時に食べものやお金を恵んでいただいて法(命)を繋ぐため説がある。
パープルムーンにはミストレスが守らなきゃならない規則や、生活規範が幾ばくかある。
それは、パープルムーンがミストレスとして暴力を行使出来る信用をM男さんから得て、食べて命を繋ぐ為の規則と規範なのだろう。
もし、パープルムーンの歴代のミストレス諸先輩方の成果から、ミストレス戒を編纂するなら、私は何を書くだろうね……
何をしてはいけないんだろうね……
そして、何をしなければならないんだろうね……
決して単純な自由では無い。だけど、極めて自由を手に入れる事が出来る。
つまり、戒律作れるのでは?と思うくらい、ロジカルな規則や規範があるわけです。
そして、それは口伝でしかないのですよ。
でも、記録よりも口伝の方が正確に伝わっている可能性も示唆される昨今、自分用の覚書程度の記録しか作るべきではないだろうね。
と、考えた四連休でした。(書いてるの先週笑)
四連休中、一日に二本連続でシネマ歌舞伎を見たりしていました。
映画の国宝を見たら、見たくなりました。
そしてコテンラジオを聴きながら細々とした家事をやっていたんだけど……
ミストレスも、「本来の」僧侶も、血縁相続では無いんだよなと思いました。
戒律がめちゃくちゃ厳しいのは、出自バラバラの人間を一定水準の「僧侶」に仕上げる為の基準だ。
因みに常に内省し続けなければならない。
総ては自分自身の問題であって、自分の外側の世界の問題では無い。
と、いうことなんだろうなぁーー
反!省!!