懐かしくて面倒くさい話

皆さん無宗教ですか?無宗教と言いながらいただきますって言ってますか?

立派なアニミズムですぜ!

という、面倒くさいお話しです。

面倒くさい思い出話なので、SMだけをお求めの方は読まなくて結構ですよ!

SMの話も近々ガッツリ致しますのでね。

お坊さん時代の先生の書籍をワンクリックで買った。

切り口や解像度は変わっていても、思想というのは仏教なので変わらないんだよねぇ。

もう、かなりのご高齢のはず。

私と祖父母の関係というのは、思想や文化というのがまるで違っていて、常識も違う。

正しさでさえ違う。

善悪すら違う。

当たり前だが、認識している法律も違う。

私の祖母は、今なら訴えられて多額の賠償金を命じられてただろうし、なんなら侮辱罪で逮捕されていると思う。

笑い事ではないが、性格が、悪いのである。まあ、祖母の話がしたかったわけではないのでこの辺にしとくが笑

その様に、今の時代というのはあまりにも変化の速度が早い。どの世代でもそう感じるものなのかもしれないけどね。

その中で、仏教というのは紀元前から続いている。

インドで産まれ、中国に渡り、日本にやってきた。

紀元前から現代までの人類の経験が詰まっている、というより、日本人にとって、未だに飽きられていないコンテンツと言っても良いのかもしれない。

私はそーーーんなに真面目な仏教者では無いし、無知も無知の無知だけど。

ただ、24歳で出会った先生の新鮮な言葉は、今でも新鮮だと思った。

そして、先生から習い、すっかり忘れていた事も、本をめくれば再び出会えるんだよね。

大切な事は何度でも言う、何度でも書く先生だったからね。

先生の先生もそういう人。

きっと、道元禅師も、如浄禅師も、玄奘三蔵法師も、阿難尊者も、お釈迦様も、そうだったんだろうと思わされる(そんな気がするだけである)

実質的に、本を捲れば経典を捲れる様に、紀元前までを一気に駆け抜けられるということなのかもしれない。

そして、私が行者をしていたとき、いつか八大人覚を書かなきゃと言っていた事を思い出した。

急にすっと襟を正す様な気持ちになり、そして、読み進められないのだ。

何かが終る様な寂しさ。

無常なる遷ろい。

そこにきてふと、私にとって、側に居なかったし、言う事をきかなかったし、投げ出したけど、この人はずっと老師だったんだなと思った。

ちゃんと座ってちゃんと読もうと思う。

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