お坊さん時代の後輩指導について、自分も出来てない事をやれって言うのはいかがなものか……と先輩に零したのだが、自分ができてなくてもやらなきゃいけない事はやらなきゃいけないと教えなきゃダメだろう、と、言われたのだ。
私はその時、不出来なダメ人間である自分が人に物を教える傲慢さを感じて、嘆いていたわけなんだが、実際その想いを優先して教えないと、自分レベルで人の能力が終わるのだ。
教える、というのは自分よりも優れた人を育む事だと今は思う。
自分は出来てないけど、後輩は出来る様になるだろう、という考えを持っていて良くて、しかし、期待はしてはいけない、と思う。
人間はついつい歳下や後輩に期待をする。
それで心を疲弊させてしまう。
だから、自分が出来なくても正しい事を教えるが期待は特にしないし、何があろうとも見限りもしない。
それが私の理想の形なのだが、私にはあまり実行できているとは言い難い。
ところが、M男さんには近しい事をできているのかもしれないと、ふと思う。
プレイの中で、命令したり、強要したりするが、それらは私には受けられなさそうな事が殆どだし、それをM男さんが出来なくても構わない。
出来ないからこそのプレイが待っている。
やり遂げたいと思って頑張るも良いし、出来ませんとぐずるのも良し。
その総てが愛おしいと思える。
私は女王様をやっていると、私の理想の人間を出来る機会が多い。
というか、お坊さん時代に果たしきれなかったお役目を果たせるのではないかと、少しばかり思えてくる。
SMクラブは非日常で、ファンタジーだと言われる事が多いのだが、私にとっても、理想の世界を一時見せてもらえる場所なのかもしれないと、あまりにもSMばかりやっていて、忘れがちなのですが、そう思ったんですよ。
私のあまり理解されない性癖シリーズに、
茶人M男さんに招かれる事
画家M男さんに油絵で肖像画を描かれる事
車夫M男さんの人力車で送迎される事
というのがあります。
少なくとも、私の性癖は変態さん達にも、首を傾げられる様なものである。
そこから見えてくるのは、根本的なセンスがマイノリティという事だとも思う。
私がSMという行為の中に、非日常的ロマンを見出す部分が人様とズレていても当然だという事に気が付いた。
私にとっての非日常のSMは、私自身が理想の指導者であれる事だ。
ここまで、昨日の夜中に眠くなりながら書いてたんだ。
そしてこれをアップするかどうかは起きたら考えよーと思って、今読み返しててなんだかよく分からねえけど、まあいいかと思ったのでアップしておきます!!笑