ずっと見たかったメル・ギブソン監督のパッションを入手したので見ていました。
以降、なんとなく偏見と間違いのありそうなただの感想。
キリスト教徒の方は、怒らないでココは違うぞ!と、教えてくれると嬉しい。
監督は映画という物の力を強く信じているのだな!と思いました。
私のイメージでは、キリスト教のパッションというのは共感であり、追体験する事をとても大切にしているんだと思っているのですよ。
為す術もなく、イエスが拷問される姿を、目を見開いて見続け、共に耐える事、そのものだと思った。
あの映画の与えられた役を演じること、撮影や衣装や舞台やメイクやマーケットや総ての制作そのもの、その映画を見る事、そのものがとてもキリスト教的な、エデンに至る道はイエスを通るという事になる。
ダ・ヴィンチコードに出てきたオプス・デイを含めて、苦行を大切にしている宗派も、イエスの追体験なのでは無いかと私は感じているのですよ。
これはもしかしたら仏教的な感覚からのイメージかもしれない。
仏陀がどうやって悟ったのか?を研究しまくって、自らも悟ろうというのが仏教修行の道程なので。(途中で、時代や国が違うんだから無理じゃんとかそういう発想にもなった笑)
ただ、イエス・キリストを想い見続ける事で共にエデンへ行ける、そして助けき来てくれるという趣もある。
ある意味、真理の追求というのは、似たような流れになるもんなのかなと思う。
そして、あまりにも辛い姿を真剣に見たあとに、イエス・キリストの復活を感じる。
当にジーザス!!!ってやつだ。
打ちのめされた所に、復活の奇跡を感じる。
その奇跡の追体験も含めて、非常に大切にしているのだろうと感じた。
奇跡の追体験までセットでなければいけない。
そして、自らの肉体を痛めつけず、映画というのはちゃんとイエスの道を歩ませてくれるのでは無いか?という、映画というものへの信仰を感じずにはいられないのでした。
それにしても、最初から最後まで拷問だけで映画を作るというのは、物凄いパワーだよね。
そして、拷問ってやっぱり良いよね……という気持ちになってしまう、私は完全無欠の罪深き異端者なのであります。
M男さんやM女さんは相当な追体験をしていると思うのです。
まあ、信仰者では無いので、エデンには行けないと思うけどね。
なんだか、そんな事をついつい考えちゃう映画でした。
私としてはすっっごく面白かったけど、果たして普通に考えて日本人にとって面白いかは微妙だろうと思いました。
以上です!!