拘りが強い子供であったと、我ながら思う。
拘りが強いと、反動で何でもいいやという気持ちも大きくなる。
それは何故か?
子供の内から、他者との常識の差がよく見えるからだと思う。
大人と共有出来ない個人的な価値観を過度に育むと、怒られるはぶつかるわ。
おやおや、どうやら私は目の前の人とは違う常識で考えている様です!と、思うわけ。
犯罪行為はやらないに越したことは無い。という理解は大事よ。
自分がどうやら変らしいという自覚は、今の世の中にとてもマッチしていると思うのです。
他人は自分とは違っていて、それが当たり前だからなんですね。
M男さん達は、ふむふむと思うのではなかろうか、変態ってそんな多数派じゃないからね!!
差別をしないというのは、全部同じとして接する事では無いんだよね、そして、自分という存在を皆とか普通とかに拡大解釈すると話が拗れる。ほんとにしょっぱい感じがする。
そしてね、自己開示して人を勇気づけようとか、世界を変えようとかしなくて良いんですよね。
単に、目の前の人に対して、この人はこうなんだなと思えば良いだけの事です。
別の価値観に接してウッと身構える瞬間があるのは、群れを形成する人間にとっては当然、当たり前の事なんだけど、かくいう俺はマゾだしな!って、魔法の言葉よ。
子供というのは、自分が別の常識という経験が少ないので、攻撃的になる気持ちは当然なんだけど(しかし、大人がその違和感を受け取め、攻撃は自分が攻撃されない権利を放棄する事と同義である事を納得するまで理詰めで説明しなければならない。)
自分の変態性に納得してしまうと、他人に相対した時の心を全部綺麗にしてくれる。
というか、無害な相手に対する便利な使い方が出来る場面があるかもしれない。
因みに虐めやハラスメント的な物は、相手の権利を侵害するからそういうのは良くないよねと思っておけばいい。
違反行為への対処はまた別の話よ。
そこを間違えると脳が壊れるから気を付けて。
脳の損傷ってマジでマジで大変だからね。
統合失調症になった兄と、15年ぶり位に会話が成立して一週間近く整理がつかないほど驚いたんだけど、ただの無意味な趣味の会話が戻るまでに15年か……とも思ったわけで。
私は目の当たりにして予防に余念が無いのであります。
恐らく、私が子供の頃に拘りが強かったのは、遺伝子的ななにかです。
だからこそ、うまく活かす事は大切なのですよ。
予防目的でちょっと専門家の方に相談を……これ結構大事よ。
この国民健康保険の有意義な使い方は予防ととりあえず医者にアクセスする事です。
何の話してたっけ?????
まあ、いつものことだよね。