祖母が妙に品に拘る人間だったのだが、大人になって、品のある人だなあと思うのは、取り繕わないで自信のある人だとか、好かれようとしなくても好かれてる実績のある人だなぁーと思います。

祖母は私から見るとあまり品のある人では無かったけど笑

自分自身を客観視するのは、客観という主観なのであまり考えませんが。

男女問わず品の出どころはそうなんだろうな。

話し方とか、所作とか、そういう物で判断しているわけでは無いんですよ。

全身から醸し出されてる物があると思います。

かつてそれを貴意って表現している友人がおりましたけど。

なんか敬われる事に慣れてるとでも言うんですかね、大事にされる事に慣れている。

そういう人を前にすると、自然と、大事にしちゃうんですよ。

例えば、身なりなんて気にした事が無くても、ご両親に愛されてたし、愛されてる事を知ってる、みたいな人は、そこはかとなく品を感じるんですよ。

その、愛ってのは時代によってもやり方が違うんだけど、やり方関係無く世代関係無く、なんかあるんでしょうね。

あ、別にそれは親ばかりじゃないんですよ、親以外でも、愛を「信用」したことのある人なんだと思います。

この人は打算無く自分の為を思ってるんだな………っていう、気付きの経験です。

案外世の中って、愛情にあふれていると思うけど、気づくか気づかないかはとてつもなく大きな違いを発生させるのではないかと思う。

が、元お坊さん、それも割とどうでもいいと思う笑

愛されたという気付きが無くて、自信や実績が無かったとしても、自分が打算を持たなきゃそれで良いじゃないかと思う。

打算的な事を考えてちょっと恥ずかしくなる度にそう思う笑

その繰り返しですな〜〜

ところで、真面目に人間について思い巡らせてたら、ふと思い出したけど、元僧侶である事について、最近なんちゃってかと思ってたと言われたんですけど、本当に元僧侶なんだ笑

禅宗だったので、暫くの間頭髪剃り上げていたんですよ。

髪を剃り落とすって、めちゃくちゃ面白いですよ、男性は禿の悩みから解放されるし、女性は女であるプレッシャーが消失します。

髪が無くても、ムダ毛処理してなくても、貧乳でも、ただの人間であって、何も変化しないですから。

公共のお手洗いで、ここは女性用ですよ!って咎められる位です笑

言うて、もうSMやってる時間の方が長いので、あんまり僧侶っぽくは無いですな。

ただ、思考の根幹は仏教に依存していると思います。

寧ろ、坊さんの時より坊さんっぽい思考してるかも、ミストレスって存在は坊さんより坊さん出来るんですよね〜

私にとっては、ですけど。

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