欲望の使い所

プレイ外の定番のSMであり、究極のSM。

もし、私に対して女王様の誰も叶えられない欲望を本気でお金に糸目をつけずに私が満たしたい!!!!というクレイジーな欲望を発揮する富豪のマゾの方が現れたら、何させようか?と考える遊びをしています。

(別名、買っても居ない年末ジャンボ宝くじが当たったら何をするか?である)

私は二畳の茶室を建てます!!

引窓付きで、引窓を引くと、なんと月ではなくて吊床が出てくる!

床の間にも壁の裏に梁がある仕様で、60kgくらいの物を床飾り出来る。

柱も強めで60kgくらいの掛け花が出来る。

壁は煤けた土壁か黒漆喰、天井は煤竹や、竹皮編み。

明り取りの窓は最低限で、電気は無し。

炉を切ってある。

薄暗くて、狭くて、外の音が聴こえる煩くて静かな部屋。

離れには、一畳の寝床とシャワーブースとトイレ、土間仕様の簡易キッチンで、方丈記みたいな小屋を建てる。

それを、かなり広い土地の周囲を林みたいにして、敷地外に音が届き難くする。

二畳の茶室に床の間、次の間と勝手口で四畳半。

私の生活小屋も四畳半。

延床17平米である。

名前も決めている。

全体で

「くじけ荘」

お茶室の名前は悩んでるんですよ。

待庵が発想の元なわけなので……

バリ庵

セビ庵

うーん

是日庵だな。

決まり!

めちゃくちゃ茶室っぽい!!

天才か私。

そして、定期的に籠もったり。

M男さんを軟禁したり。

一人でお茶を点てたり。

誰かを招いて点てたり。

緊縛したり。

緊縛したり。

そういう隠遁と道楽の粋を極めた空間を、私は欲する。

因みにかなり酔狂な建築物なので、出来れば施主のM男さん名義or宝くじ当たった人というハンドルネームで建築雑誌に紹介したい。

私は私自身は目立ちたく無いが、私の考える究極の道楽は日の目を見て欲しいとたまに思う。

因みにこの構想は丸パクリオッケーです。

丸パクリしたら、是非私にも見せて欲しいです。

そんな感じで、私の欲望の深淵を覗こうと思ったらとんでもない。

そういえば、4日連続で1日に何縛も緊縛をしたら、ついに右の人差し指の皮が千切れてしまいました。

そして、私は趣味の和装緊縛写真を撮っていただいたので、近々お見せしたいものです!

この着物の色合わせに私の好みが詰め込まれている。

どれだけ感じ取って貰えるだろうか……

少しだけ、表現することを楽しく感じられた気がしますね。

怪しい

新しいズボンを買ったので、友人に見せようと思って撮ったら、凄く怪しい写真になった。

顔は不遜(なんとなく、メリットがない気がしてぼかした)

電気をつけ忘れたために肝心のズボンは潰れ

影は不気味に

猫がかわいい

こんな写真を送りつけても適切に反応してくれるのだから、いい人だと思った。

ディストピアって言われたけどね。

昨日はお休みだったので上野を散歩した。

公園の近くに来ると散歩しなければいけないような気がする。

私は散歩が好きだ。

最近プレイの事をろくに書いていないのだが、書く気持ちはありつつ、寝かして熟成させてる感がある。

女装させて、ペニバンでとことん犯したプレイとか、写真を撮ってないけど大の字に拘束して悪戯をしかけたり、拘束が苦手な子を拘束しないよ!と言って羽交い締めにしてみたり、色々やってるんですよ。

やってるんだけどね。

なんかね「秘密」にしてニヤニヤしたい時期があるんですよ。

皆可愛くて仕方が無くてね。

自慢したい気持ちと同時に、大切に大切にしまっておいて一人の時に取り出して悦に入る様な気持ちと、私の中には同居しているのです。

可愛い、本当に、大好き……

と、思うんですよ。

M男さんは愛おしい。

先日、まったくのジャンル違いのお店の女の子とお茶をした。

実に楽しかった。

そして、まっとうな社会人としての取り組み方にも感銘を受けたのである。

野性的に何となくやっている事にも、名前があって、それがポンポン理解されていくのは気持ちがいい。

本来の目的を完全に逸脱してしまったが、

なんにせよ、どれだけSMが好きであるかということを適切に自認していて、尚且つそれを伝える術を持たねばならんのだ、なあ〜と思う。

こんなね、新しいズボンに浮かれて猫の可愛い写真撮ってる場合ではない!!

そんな感じで生きている。

長袖の季節です。

と、書いてみては書き終わる前に暑い日が来るので途方に暮れている。

長袖の季節は、がっつりSMがしたい。

何でも出来ちゃう。

洋服の下に、一体どんな世界が広がっているのかなんて、会社の同僚にはわからないからね。

すれ違ったスーツの下に紋々が入ってるかもしれない。

隣の席の人だって、実は身体中に縄跡があるかもしれないね……

ほんの一皮。

私はあまりイリーガルな世界が好きではない。

刺激的なことと言うのは、その瞬間以外が平坦だから刺激的なのです。

刺激に慣れる事を繰り返すと、いずれは何をやってもつまらなくなってしまうからね。

私はSMは日常だけど、脳を平坦にする事が好きです。

坐禅もその一つだけど、SM以外の日常ではなるべく刺激を与えない状態を好む。

煙草すら辞めてしまったし、最近は「お菓子」を減らしていたりする。

カフェインを控えてみたり、カロリーを抑えてみたり、ただ歩いてみたり。

積極的平坦です。

刺激的な事はSMが良いのです、SMを最大限楽しむための日常なのです。

それは、日常にSMを置いている分、そうでない人よりも積極的平坦が必要だということですね。

退屈は最大の刺激ですからね。

私は静かでつまらない人間で居たいわけです。

歩く時にスマホをしまって、イヤホンを外して、何か考えが浮かんでもそれを切り捨てて、歩くという事をおすすめしたいと思います。

その日常の中にSMの刺激はよく効きますね。

と、スマホで書いております。立ち止まってるけどね。

要するに、一つ一つに集中する事が大切なのだろうと思う。

退屈すればするほど、SMは楽しい。

より強い刺激を求める位なら、その他の刺激を極力減らしたいと私は思うのです。

ひと足早い縄の写真

うーん竹の扱いはまだまだこれからですなーー

今年中に形にしたい。

SMが好きだなあ。

私は長年にわたりパープルムーンを選んでいるM男性が好きだなあ。と、なんだか無性に思う秋。

秋っぽく、エモーショナルな気分なのです。

拘束されることがエロティックな経験であって、拘束された事の外側にエロスがあるわけではない。

そんな気がしている。

要するに、己の心にマゾがいるのか、いないのかであって、

私という人間がミストレスだとかなんだとか、男か女か、そんな事はどうでもいいんだ!SMがしたいんだ!という、事を久しぶりに思いましたね笑

いや、マジで、私もそう思うんだよね。

SMクラブが何なのか、改めてじっくりと考えてみるとね。

本来だったら全力を出せば逃げられる様な軟弱な人を相手に、目を見つめられたら動けなくなる様な意志の力で萎縮してしどろもどになっている内に、縛られて、本当に逃げられなくされてしまう。

本来なら、お互いに優しくしあったりするだろうし、男性が攻め役をして「快楽」を追求するのだろうけど、ミストレスと遊ぶ時は違う。

痛みや苦痛に、興奮させられてしまうのであって、けっして目的は快楽じゃない。マトモな事なんて誰も求めていないのである。

パープルムーンに遊びにくるM男さんはマトモさなんて求めてないだろう。

縛られて、鞭打たれて、蝋燭垂らされて、そこに快楽がある。

勿論快楽責めも存在するが、SMクラブの快楽責めはれっきとした「責め」である事を忘れちゃいけないと思う。

ただエッチで気持ちいいと思った????

と、言われて、涙ながらに一番興奮してるM男さんが、私は大好きだ。

パープルムーン的な変態が収まる場所で在りたいと常日頃思う。

(先日、あかねさんとおしゃべり中に、パープルムーンって元々可愛い系ミストレス多くないですか?卒業した大先輩方も単純明快に美人の中でも可愛い系っすよね?めちゃくちゃ今更だけど、私大丈夫なの???という話をしたのであった笑)

(形骸よりも真正度を尊重させていただきます!!)

エゴイズムの爆発

エゴマゾって凄い言葉だよな。

自分の快楽を最優先にするマゾヒスト

逆に、快楽を最優先にしてないマゾヒストは存在するのだろうか?

真に利他的マゾヒスト。

あまり見たことがないし、欲望の遊びだと思うので、利他的過ぎても意味がない。

利他的でありたいと思ってるのに、全然出来てなくて勃起させてるどうしようもない男が、M男性なのだろうと思うわけよ。

エゴイストであって良いんだけど、そのエゴイズムを叶えてもらえない事を楽しんで欲しいとは思う。

それはおそらく「エゴマゾ」が内包する意味とはズレた、別物の「エゴイズムを持ったマゾ」なんだろうな。

主体性と自主性と自立心のあるマゾと激闘を繰り広げる、みたいなのが同世代のSMの様な気がします。

少し上だと、男女逆転とか下剋上がSMで、それはそれで、古くさい、寺みたいな家に生まれた人間には理解しやすい。

その上になると当たり前に女の方が強い上に守られていたそうで、それはそれでなかなか面白い。

たった四十年やそこらの世代間で相当違う。

そして歳下のSMもまた違うのでしょうね。