春ノ虫虫

先月の中頃、事務所に遅くまで残ってかれんちゃんと縄練してたら、ポストをカタカタやる音がしたので、受付さんにお願いしてフロアやエレベーターやエントランスの監視カメラを確認してもらったんだけど、凄いですね………
あんなに鮮明に、様々な角度から眼鏡の下まで鮮明に写ってるとわかると、大人しく暮らしたいと思いました。

まあ、そりゃそうですよね、渋谷ハロウィンで軽トラひっくり返した人って、監視カメラ映像を追って追って自宅特定されて逮捕されてますしね。

鮮明じゃないと意味無いよな……でもあそこまで鮮明とは、なかなか。

そういえば、先日虫プレイの話をしてくれたM男さん?M女さんと言うべきか?のおかげで懐かしい女王様を思い出した。

聴いた時にはパッと出てこなかったんだけど、あかねさんと話してて、あの子だ!!!ってスッキリしたんですよ。

虫プレイ、身体を這わせたり食べさせたり、ご本人も食べたり。そういうプレイの願望のある方でして、私は直接の面識は無いのですが、グログロ系でネットでよくお見かけして素敵だなあと思う方でした。

私は祖父が昆虫マニアだったので、ボルネオのスケルトンのゴキブリや、グリーンのゴキブリの標本なんかを見て育ちましたし、3億年前からゴキブリの基本的な姿は変わっていないんだと祖父は何故か誇らしそうに話してくれて、なかなかゴキブリは美しいといつも思います。

わざわざ殺生をする様な事はなかなか好ましくないですね。

カフカの変身とかみたいな視点を想像すると、割とちゃんと残忍だなと思う笑

田村マリオさんの漫画も大好きだしな。

そういや、田村マリオさんお元気かしら………無理に復活して!!なんて思わないけど、大好きな漫画を描いている方ですよ。Twitterでちょいちょい消息が知れると嬉しい。

そんなわけで、虫を使うというその行為への愛とフェチズムや執念を感じると、ついつい感動してしまうのよね。

なんにせよ、諸縁吉祥ならんことを。

非日常のススメ

非日常

母がよくお茶室は小宇宙であるとか、非日常とか、空間芸術とか、なんか色々言っていたのですが。

日常から刀を置いて、腹を割って話す、という前提の元で探り合う戦国武将の政治的茶の湯、禅の名の下に行われるわび茶、まあ、面白いですよね。

SMは非日常と言いますけど、非日常というのは日常を際立たせる。

政治的な関係の為に茶席を利用してきたのは何故なんだろうかと、SMは非日常という言葉を聴くたびに思う。

戦国武将にとっての日常は裏切りが当然で、すぐ殺されちゃうわけですから、躙口の恐怖、四畳半の緊張、銀蓋の不安は計り知れないわけですよね。

恐怖や危険や困難を乗り越えてでもその四畳半に踏み入れる価値をお互いに確認していたのかしらね。

そうやって考えると、社会的危険性や身体的危険はある程度はあってもSMは甘ったるい世界だわね。

ところが、簡単に死ぬ世界で確立されたわび茶も元を正せば禅によるものなんだけど、禅そのものも鎌倉時代の乱世での思想、そして、更に遡れば仏教自体も政治利用の為に輸入された。

ますますややこしい事になってますね笑

本質を確定なんか出来ないって事ですね。

それはSMも同じ事でしょうけど。

世界を構築する事、相手の力を制限する事、一時を共に過ごす事、SMクラブの女王様は茶人に極めて近いのでしょう。

多くの人にとっては非日常でしょう。

でも、茶人にとって茶室は日常でしょう。

私にとってもSMは日常です笑

面白いですね、千利休は茶人として生きたんですよね。

千利休が必要だったんですよ………ふふふ

人間が非日常を求める気持ちは普遍的です、そして、刀を持たない事によって刀を認識する様に、今を生きる事になる。

最近カフェインとアルコールをほぼとらないのですが、とらなくなったら、珈琲に求めていたのも、ビールに求めていたのも、苦味であったと気付く。

日常を離れた時、日常に求めていた物に気が付くのかもしれない。

日常で不要な物にも気が付くかもしれない。

自己認識の深みが増すのかもしれない。

まあ、私にとっては日常の事なので、どうなのかしらと思うだけですが笑

利休にとっての日常と非日常は何だったのでしょうか。

この世の中には、非日常を必ずしも必要としない外れた人間も居るのかもしれないし、利休にも隠された非日常があったのかもしれない。

切腹する時、彼は非日常を感じたのだろうか………

もしか日常だったのだろうか。

武将に接してきた彼は何を生きたのだろうか。

無駄に色々考える。

正に無駄!!

でも今日もちゃんと日常的なSMしてます笑

休んでいた間

待っていたわけじゃなくても、戻って来たから会いに行こう。

パープルムーンを選ぼうというのは嬉しいことだね。

嬉しい。

そんなに良い人間、良い女王様とは自分では思ってないけど、悪い印象ばかりでも無いんだな!!と。

勿論悪い印象を持ってる人も居るのでしょうけれど。

アドラー心理学、社会的ハンディキャップの無い人間の理論の様な気がするので、あまり好きでは無いのだが、それでも、ポジティブな反応を示してくれる人を大切に想うのは確かよね。

思わねば、とかじゃなくて思っちゃうのよ。

そういうのがそもそも強靭な精神なのかもしれんけど笑

猜疑心なんかはあまり無い単純な人間なので、うふふありがとーうふふと思う。

が、褒められた事も貶された事もわりとすぐ忘れる幸いな人間なので、楽しい日々だと思う。

因みにこのすぐ忘れるってね、褒められる為に頑張る、承認される為に追究するなんていう事に欠けてるので、本当に自分の心が傾く好きな事ばっかりやってる。

と言う事なのよね。

あの、SMに関しては特に、努力してないんですよ。

その為に特に興味は無くてもやる事は確かにあるけどね。メイクとか笑

もう少し努力という物を出来る人間なら良かったとたまに思う。

いやーでも好きな事しかやりたくないし、嫌な事を嫌嫌やってたら具合悪くなると思う。

そんな生き方出来るのは良いよねと思う人もいるかもしれん、が、モチベーションの持ちどころは人それぞれよね。

美味しいもの食べたいとか、旅行したいとか、私はSMしたかった。

それが無かったら、洗濯もしたくない!!笑

SM歴はね、誰にも社会的に褒めてもらえるもんじゃないしね、実は褒められる事に興味の無い人間しか、長期間は続けられないのかもしれないよね。

知らんけどさ。

いや、社会的立場のある職業と両立してる女王様も居るからな、うん、それはまた別の話か。

こうやって考える事自体が趣味の様なもんですね!!!

楽しい〜〜

お茶

良い紅茶を頂きに。

待ち合わせして。

メニューを選びながら談笑して。

お菓子とお茶を頂いて。

夕飯食べて。

お茶頂いて。

お茶事とあまり変わらない。

順番は色々違いますけど。

お茶事だと

席入り、炭点前、懐石、中立、濃茶、薄茶とか。

食事とお茶とお菓子の組合わせは世界共通の社交なのだろうな。

家でお招きってのは大変だからなかなかやらないですが、外食でも似たような事をするのだなぁ。

そして、飲食業界はとても文化的に経済的に良くできているのかなと思います。

ご飯を一口、と汁は吸いきり、お酒を頂く。向付はお刺身とか。

親しい仲の人と過ごすのはそのくらいが良いのだろうね。

ご飯だけじゃなくて、食後のお茶もしたい。

そういうね。

ゆとりのある時間や空間が、文化ってものを円熟させてきたんだろうねー

珈琲にも、エチオピアだっけ?そのあたりにセレモニー的な、家の女性が珈琲をいれる作法があった気がする。

そして、最近アルコールとカフェインに弱くなったので、お茶で酔っ払うという事が理解できてしまう今日此頃です。

なかなか、コスパのよろしいこと笑

(本当にSMの事を書いてなるものかという気分でいる。)