私の非暴力非服従

人間って一人一人がエネルギーだと思うんだ。

何の価値も無くても存在が凄いって話なんだけど、例えば仕事出来なくて社会にそんなに属して無くても、属さないという非服従が成り立つんじゃないかしらと思うんですよ。

引き篭もりって非服従だ。

そこに家庭内暴力の無い引き篭もりなんて非暴力非服従だ。

私は自己責任論がめちゃくちゃ苦手です。

属せる社会じゃないから、非服従してる位の感覚で居ると、心に良いと思うし、社会の方を変えたら良いと思う。

その考え方だと、労働者が確保出来ないような環境の職場は人手不足に陥るわけで、環境整えたら良いという事になる。

私は頻脈があるので小中高の通学や校舎の階段が本当に辛くて引き篭もりがちになった。

バリアフリーの駅が増えてきて、今新宿に電車で行くのはあの頃より遠い距離なのに、あの頃ほど辛くない。

だからこそ、こうやって笑いながらSMが出来るんだと思う。

まあ、車もあるしね。

車の免許を早めにとったことは、私の世界を随分と広げてくれた。

もし、昔のままだったら今も何も出来ずに引き籠もってたと思う。

そして、精神的にもそう、高圧的に怒鳴りつけてくる赤の他人が減った。

身体的バリアフリーも、精神的バリアフリーも、進んだからこそ、私は多少なり外に出歩くのです。

子供の頃の私は非暴力非服従であったと思う。

今は合意ある暴力と非服従です笑

でも、合意ある暴力を持つことによって、外の世界に優しくなれた面もある。

これ、前もいつだかに書いた気がするんだけど……

どうしょうもない、社会的にダメな性癖、威圧と支配と嘲り、そういう欲求を無闇矢鱈にまき散らして満たすのではなく、そういう私の一面を受け取ってくれるM男さんたちのおかげで、解放されているのかもしれない。

M男さん達が居るおかげで、私は他人に優しく、親切に、社会的に接することが出来る。

私の一番社会的に恥ずかしい姿かもしれない。人の顔を踏んだらダメだろ!!という事を、やりたくて仕方がない、そんな衝動を引き受けてくれる。

これも、精神的バリアフリーです。

社会が私に与えてくれる居場所です。

そして、社会に対する非暴力です。

SMしたい私達を許している。

そんな環境を作ってくれた女王様達、その周りの人達、そしてM男さん達、なんて有り難いんだろう……

そして、この先の時代にもちゃんと残したい。

そんな事を、考える休日です。

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