超正常刺激

友人とお話をしていたら、超正常刺激という物を教えてくれたんだ。

私はお話中に何で過剰な防衛をしたり、領土を広げたり、経済を拡大させたりするんだろう……という疑問を漏らしていた。

それに対して、ちょっと面白い話として超正常刺激という機能を教えてくれた。

もしかしたら、超正常刺激的な行動かもしれないね、と。

現実には有り得ない様な誇張をしても魅力的に見えてしまう。

大きい卵を温める習性がある鳥は、普通の卵と、その種の普通より大きい卵を置いておくと、大きい卵を温めるそうな。

漫画の誇張されたルックスにときめくのも同じ事なんだそうで。

女王様がコルセットでウェストを引き絞ったり、ハイヒールを履くのも、それが魅力的に見えるのも超正常刺激なのかも……なんて、思ったりして。

人間の場合、鳥よりも「魅力的」の種類が、本能にしろ社会にしろ非常に多岐に渡っていると思う。

しかもインターネットやテレビで切り取られた美しい場面場面だけが目に入る。

そして、現実感を失って、どうして私の卵はダチョウより小さいの?という不満を抱くのだろうね。

すぐ隣にはウズラが卵を温めて居るのに。

そして、友人は煩悩ってそういう事かもしれないと言っていた。

ほんとだ!!!!ってなる。

煩悩=超正常刺激とも言えるし、煩悩の中には超正常刺激が含まれてるとも言えるかもしれない。

もしかしたら、適切な表現が仏教にはあるかもしれないけど、私は不勉強なのでちょっとわからない。

とりあえず、思考する事は出来るので話を続ける。

超正常刺激的だと思われる感覚を省いて行くと、生命活動的に必要な部分もより明確になる。

生命活動と遺伝子を残すのに必要な分以外は煩悩であると言える……

生命を維持できる食事以上の食事を求めるからね。

だから太る。

愚かだな私……

ただ、その不思議さを感じていたからこそ、超正常刺激という概念がすんなりと入ってきたのかもしれない。

煩悩はけして無駄という訳では無い。

煩悩が無ければ、煩悩から逃れるとか無くすということも無い。

誇張された架空の物質や概念に執着したからこそ、見えてくる物もあるのだろうね。

私は、何で戦争をするのか、政治的経済的な理由についてはともかくとして、根底には架空の誇張された刺激に支配されているのだと思っている。

今眼の前に広がる世界の中で、どう生きていくか、その事しか見ないでいたほうが煩悩に飲み込まれずに済むと思う。

煩悩を抱いている人から見たら、質素で、清貧で、そして、向上心のない奴かもしれない。

しかしながら、悲しむ事も、悔しむ事も、辛がる事も無い、苦しみが無い。

まあね、SMを生業にしていると皆が皆そうなったら困るわけだし、どうせそんな風にはなれないとわかっているんだけどね。

ただ、私は今が本来幸せであるという智慧は持っている。

貪りたいと思ったとしても、その事に苦しみはしない。

やれるもんならやるけどね。

という気持ちなのだ。

削ぎ落として削ぎ落として今残っているのは、SMと、衣食住だけなのです。

私って、シンプルな生き物だなと思います。

そしてね、脳が快楽を覚えると、脳は血行良くなって物凄く考え事が捗るのです。

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