色即是空空即是色とCPUと女王様

仏教は素人だしコンピューターはもっとド素人で何もわからんなんだけど。

仏教の記憶は無くせないから、いくら破戒(戒律破り)したところで、破戒僧って僧は僧なんだよね。

とか、考えてて。

仏教の修行ってさ、パソコンに仏教ロジックというプログラムをインストールする行為なんだと思うんだよ。

それも、OSのアップデートみたいなシステムの階層のものなんだよね。

だから、そもそもな世界の見え方みたいな、かなり全体的な部分が変化してしまうのですねぇ。

この仏教という部分を削除しようと思ったら、OSごと改変しなければならないわけ。

(宗教の違いはリナックスなのか、マックなのか、ウィンドウズなのかって違いがある、それぞれ扱えるけど、メインで使ってるOSが一番使いやすいわけだね。)

(歴史もさ、ガラケーは多神教の趣があって、その流れに近い身近だったAndroid端末から、急激に一神教的なiPhoneユーザーめちゃくちゃ増えたのもなかなか面白いね……笑)

仏教がOSだとするとよ、じゃあその下にはCPUという真理があるわけ。

0か1、OFFかON、無か有

「あ」を表現する時には、0と1だけで構成された一塊のフレーズが「あ」である事を説明しているらしいんだけども……

なるほどね。

空(無)と色(有)なんだな。

総ては空であり、色であり、色即ち空であり、空即ち色である。

要するに、私という人格と見えている世界を削除すると、空と色というこの世の総てが剥き出しに存在していて、その色という物が無くなれば無であるし、無が無くなれば色であり、オン・オフしか無い、通電する箱になるんだね。

モールス信号だ……

人の死というのは、永続的なオフなんだろうな。

そして、その通電する箱である肉体は風化していく。

でも、電気というのは宇宙に常に存在しているんだ……

魂って、電気的な情報そのものの事なんだろうか……

あああ………

ほらね、こうやって、総てが仏教につながっちゃう現象が起きるわけ。

これが、OSを仏教アップデートしちゃった脳の成れの果てなのです。

私がお寺に居なくても、髪がながくて、袈裟を着ていなくて、還俗していても、僧侶は死ぬまで僧侶なんじゃないかと思う所以であります。

私にとってSMはプロバイダーみたいなものですね。

パープルムーンはさながら回線事業者です。

私が何者であるかを表現するのはこの2つで社会に女王様という肩書でアクセスしているんだね。

世界をロジックで理解しようとする性質自体が、仏教OSの影響でもある。

こんなことを、休日はしょっちゅう考えている。

今日は久し振りに捗りました。

よく眠れそうです……

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